
太田千代です。
Chiyolin(ちよりん)と呼ばれています。
どうぞ、よろしく。
私は、1953年、広島市内で生まれました。
生まれてすぐは事業主の娘として裕福な生活を送っていたらしいのですが、父親が事業に失敗したことから、郊外にある母親の実家に移り住んで暮らしました。
両親は共働きとなり、貧しくはありましたが、恵まれた自然に取り囲まれ、農家である母の実家で祖母のお手伝いをするなど、のんびりとした牧歌的な幼少期を送れたと思っています。
同じ年頃の子供達は近所に沢山おり、一緒に野山を駆け回っていましたが、基本的には一人で遊ぶことが好きで、特に図書館に行くのが大好きでした。
特に、色とりどりの綺麗なお花の図鑑には、目を奪われたものです。
中学・高校は、公立畑を歩き、この頃から好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという性格がはっきりと現れ、人間的に大好きな先生が教える国語の成績はトップ、人間的に嫌いな先生の教える数学の成績は最低という状態。
そんな中で、自分は活字が好きと分かったことから、新聞部に入り、文章を書くことを楽しみました。
そこで活字に慣れ親しんだこともあって、自然に編集や出版の道に進みたいと思い、大学の文科を受験。
みごとに合格して喜んだものの、家庭の事情で断念せざるを得ず、急遽、唯一まだ募集をしていた「コンピューター専門学校」の門をたたいたのでした。
希望の道を断念し、望まない勉強をしなければならなくなった私ですが、持ち前の好奇心で、アルバイトで始めたデータ入力にも、珈琲専門店にも面白みを覚え、結果的には、大手企業である三菱系重工にコンピューターのプログラマー要員として就職することができました。
ですが、長年の目標のないルーティンワークがたたったのか腰痛を引き起こし、歩くことさえままならない状態になり、もう、耐えきれない...という時に、プロ野球の選手たちが通う整体の先生を紹介され、そこに行ったことがきっかけで、私の人生はみるみる間に変化しはじめたのです。
そこで、知り合った方たちの考え方や、実際にされていることは、生きることに対して無目的だった私に一条の光を当ててくれることとなりました。
精神性を説いている方たちを次から次に広島に呼び、講演やコンサートをするお手伝いをはじめ、ご縁のあった方たちと映画「ガイアシンフォニー」を広島で上映するグループを作り、ダライ ラマをはじめとした平和や環境問題に貢献された方々と触れ合わせていただくとともに、同じ思いを有する友人たちとヒーリングミュージックの旗手でいらした宮下富美男さんのワークショップを開く、またウォン ウィン ツァンさんのコンサートを開く、等々、さまざまなチャネラーやヒーラーの方、そしてそこにお集まりになる方々との親交を深めることが出来たのです。
この時のさまざまな出会いは、今もつながっています。
その中でも、お付き合いの期間が一番長くなったのが、今の会社をいっしょに立ち上げたJUJUさんでした。
彼女のオーガナイザーを行い、さまざまな視点からさまざまなことを学びました。
このような活動の傍ら、ペルー、ボリビア、セドナ、シャスタ、インド、ハワイ、イタリア、イギリス、南フランス、などエネルギースポットのあるところを次々に旅行しました。
その間で、1年間だけ、不思議な現象が私の撮る写真に現れ続けたのですが、そのときの写真や体験を、今、メールマガジンでみなさんにお伝えしています。(メルマガ スピリチュアルジャーニー) 是非、ご登録のうえ、ご覧になってくださいね。
これらの活動の基本となった整体と出会ったことで、腰痛がなくなっただけでなく、よき仲間も得た私ですが、それだけではなく、さらに技術を身につけるところへと興味が移り変わっていきました。
自分が楽になった整体はもとより、身体に良いとされるハーブの植物療法を学び、アロマセラピーや中医学などは、地元のオリエンタル アロマテラピー協会で学び、更に五感を統合するためのコスモセラピーにおいては、創始者のデートリッヒ ギュンベル博士のお住まいのあるフランスに渡って講義を受け、ついに国際コスモセラピストの認定も受けました。
そうこうしている間に、会社勤めも25年となりましたが、新しい世界に開いていった心はもう戻れず、ある日辞職しようと決め、即実行。
先も見えないまま、流れに身をまかせ、身につけた技術と今までの経験が自分に与えてくれる世界へと向かうことにしました。
数年間、ヨーロッパの各国や近隣の諸国、日本各地を旅しながら、さまざまな出会いから学んでいく生活を送りましたが、老人介護などの法律が出来上がるとともに、スキンヘルパーというお仕事の依頼が来ました。
再び、会社勤めをすることになったのですが、今度は、自分のスキルやノウハウを後進に教えるという以前とは異なった内容にシフト。
純粋に自分の技術や能力を提供できることに喜びを覚えました。
しかし、運命は、次のページへと私を運ぶかのごとく、この会社は倒産。
いよいよ、自分で自分の道を切り開くときが来てしまいました。
結果的に今まで培ってきたコンピューターの技術、セラピーの技術を統合するべく、また、信頼のおける方として唯一オーガナイズを続けてきたJUJUさんと昨年、会社を立ち上げたわけですが、子供の頃、親しんだ『花の図鑑』は、アロマセラピーから独自に開発し、即座に痛みが取れると好評のオーラバランスセラピーへ、コンピューターの技術はネット上の会社運営に確実にシフトしています。
また年数は浅いのですが、レイキのティーチャーとしてのアトゥンメントも、数々の体験を講義の中に入れ込むなど、ご好評を得ております。
そして、2008年夏には、なんと大学の客員教授でしたが、アロマテラピーアドバイザー講座を、2ヵ月半にわたって、行うこともできました。
決まるまでのシンクロニシティも含めて、私の可能性を外に広げた大きな出来事でした。
振り返ってみると、好奇心と直感だけを頼りに、よくここまでやってきたものだなと思います。
でも、そんな私の生き方も、会社という足場の上でしっかりと花開いていく時が来たと感じています。
私という花をさらに開花させ、さまざまな方と繋がりを、広げていきたいです。
そしてそれは、まだ見ぬあなたとの出会いかもしれませんね。
その日を楽しみにしております。






